藤枝の禅宗の寺院。坐禅会、御詠歌、写経、塾、寺子屋、寺婚(お寺で婚活)など葬儀・法事以外の活動も行っています。墓地、永代供養塔。生きている方にとっての安住の場所となる寺院を目指しています。おかげさま。

臨済山東國寺

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臨済山東國寺は、京都花園の正法山妙心寺が本山です。静岡興津の巨鼇山清見寺の末寺です。開山無及大禅師は、現在の神奈川鎌倉の巨福山建長寺で修行いたしました。

臨済宗妙心寺派の教え

-生活信条-

◆一日一度は静かに坐って 身と呼吸と心を調えましょう
◆人間の尊さにめざめ 自分の生活も他人の生活も大切にしましょう
◆生かされている自分を感謝し 報恩の行を積みましょう

信心のことば

◆わが身をこのまま空なりと観じて、静かに坐りましょう
◆衆生は本来仏なりと信じて、拝んでゆきましょう
◆社会を心の花園と念じて、和やかに生きましょう

禅とは

禅とは心の別名

ひとつの相にこだわらない無相。一処にとどまらない無住。ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼びます。「ほとけの心」なのです。

私たちの心は、もとより清浄な「ほとけ」であるにも関わらず、他の存在と自分とを違えて、対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我欲によって、曇りを生じさせてしまいます。

世の中、意のままにならないものですが、正確には我欲のままにならないということです。禅語の「如意」は意の如くと、思いのままになることを言いますが「如意」の「意」は我欲のことではなく、自他の境界と距離を超えた森羅万象に共通するほとけの心のことを指しています。

この「ほとけ」の心の働きには「智慧」と「慈悲」があり、それは認許とも言い換えられます。自分とは違う相手を許し認め、自分とひとつとする「不生不滅・不垢不浄・不増不減」の空の価値観に立つ、「おおらかな心」のことです。

自他の距離と境界を越えるには、自分自身を空しくすることです。
禅とは、雀の啼き声を耳にしても障りなく、花の香りの中にあっても妨げにならず一如となれる、そういう「自由自在な心」のことです。

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